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菅直人が厚生大臣時代に功績を上げた訳

菅直人と言えば、厚生大臣時代に薬害エイズの重要資料「郡司ファイル」を官僚を動かして出させた、ということで一種のスターになったのですが、小泉純一郎元総理の元秘書・飯島勲氏によれば、その手柄は、殆ど菅直人厚生大臣の前任大臣・森井忠良氏のものだったようです。


「すっから菅総理」のスタンドプレー(ロイター 飯島勲)

森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。

当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。

さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。

95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。


・・・森井厚生大臣の真摯な姿勢が、官僚を動かした秘訣・原動力だったようです。


大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。

このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。

しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。


別のソースの話によると、

魚の目 薬害エイズ事件の真相

冒頭に挙げた本によると、安部バッシングが加熱したのは橋本政権が誕生した96年1月ごろからだ。橋本政権の厚生相になった菅直人・現首相は省内に「薬害エイズ」の調査班を設置し、ありとあらゆる情報を調査し、報告するよう命じた。


とあるので、官僚の協力体制が既に出来ている中で、つまり前任者時代からあった動きに乗じて、それを拡大することはしたようです。


ただ、

 そのころエイズ訴訟原告と支援者の抗議行動が厚生省周辺で何日にもわたって行われ、菅厚相が命じた報告期限の3日前に終わる予定だった。菅厚相は集会最後の日(2月9日)に原告団を省内に招き入れ、「郡司ファイル」なるものを提示して、

「こんなものが倉庫に隠されていました。83年当時、厚生省内に非加熱製剤が危険だという認識がありました」

 と言って原告団に謝罪した。自ら命じた調査報告書の完成も待たずにである。だが本当にファイルは隠されていたのか?

 実は厚生省の新庁舎ができたとき、職員たちは「机の上に物を置くな。日常、使わない物は(新設の)倉庫に入れろ」と指示されていた。その倉庫から見つかったファイルの中身は雑多なメモや新聞記事だった。

 メモは、課内のスタッフが議論のために書いたのを直ちに捨てるのも気が引けるので、郡司篤晃課長がファイルしておいたものだった。つまり「郡司ファイル」は隠されていたのではなく、単なる「ごみファイル」だったのである。

 その中に「非加熱製剤を使用しないよう業者に対する行政指導をする」などと、新任の技官補佐が「思いついた個人的意見」を記したメモもあったが、それが課内で議論されたことは一度もなかった。まだHIVの正体が分からなかったからだ。


・・・引っ越し前の旧庁舎にあったのか、それとも新庁舎にあったのかで、どちらかに不思議な記憶違いがあるようですが、それはともかく、菅直人はエイズ訴訟原告団の抗議行動の最終日に合わせて、検証不十分なメモを厚生省が危険性を知っていた証拠として出し、謝罪を行った、とされています。

つまり、真実の究明に資するというよりも、自らの大臣としての得点とするために、独断でお得意のパフォーマンスをした、ということです。


川田龍平公式ページ(2001年)

96年1月12日に管氏が厚生大臣に就任し、23日厚生省内に薬害エイズ調査プロジェクトチームを作った。その3日後にファイルが発見されたことになっている。しかし記者発表があったのは、2週間後の2月9日。原告団の「座り込み」記者会見を行った日だった。その日の夕方、厚生省の定例記者会見でいわゆる「郡司ファイル」を発見したと菅直人氏が一冊のファイルを手にして発表。ファイルの発見が夜のトップニュースとなって「座り込み」の記者会見はかき消された。その後、和解成立前後に資料が大量に出されたが、今になってみれば、これは大きな罠だった。実際には、本当に重要なファイル・資料などは公開されなかったのに、たくさんの資料が出されたため、全ての資料が公開されたかのように多くの人が錯覚してしまったのである。

管氏が資料を提出したかのように思われているが、実際はいまも隠されているのだ。


「月刊日本」 10月号 菅直人の仮面を剥ぐ!文藝批評家 山崎行太郎

しかし私は当時から、彼の振る舞いが世論に便乗して自らの人気を獲得しょうとするパフォーマンスにしか見えなかった。実際、菅氏の謝罪を受けた東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告、川田龍平氏(現・みんなの党副幹事長)は「菅大臣が謝罪したとき、皆が泣いて喜んでいたけれど、自分は全然うれしいとは感じなかった。だって、何を謝っているのかわからなかったから」と述べていた。

 現在では、「郡司ファイル」とは、厚生省内において日常的に使用する事のないメモなどを、当時の厚生省生物製剤課長・郡司篤晃氏がまとめたファイルであり、彼の個人的見解が書かれていたにすぎず、菅氏の言うような重要な証拠でも何でもなかったことが明らかになっている

 しかし、結論を先に言えば、菅氏はエイズ事件の真相をよく知らないままに謝罪し、その責任を役人と製薬会社、そして当時マスコミで責任を追及されていた帝京大学元副学長・安部英氏に押し付けたのだ。しかし、菅氏がやったことは完璧なスタンドプレイだった。安部氏に全責任を負わせることには無理があったのだ。

 当時のマスコミの論理は、加熱製剤なら発病しないことを知っていたにもかかわらず、安部氏は、エイズ感染の原因である非加熱製剤を使い続け、殺人に荷担したというものだった。しかし、1984年の段階では、非加熱製剤から加熱製剤への切り替えは、欧米各国においても充分に行なわれていない。また、ギャロ博士のようなエイズ研究者達でさえ、その時点では原因がわかっていなかった。それは、ギャロ博士、モンタニエ博士、シヌシ博士等の証言で明らかになっている。

 しかも、非加熱製剤を使い続けたのは、製薬会社に便宜を図るためであり、安部氏は製薬会社から見返りとして多額のカネをもらっていたと言われていたが、まったくデタラメだったということが裁判を通じて証明されている。菅氏はこれらのことを知ってか知らずにか、ご自慢の著書『大臣』(岩波新書)に手柄話として得々と書き連ねている。笑止というしかない。


・・・まあ、何と言うか、深入りはしませんが、改めて書くと、まず、菅が厚生大臣になった時には、官僚の協力体制は前任者の人徳で既に得られていたらしい、ということが重要です。

震災後の対応を見るに、菅に官僚を使いこなせるなどという能力の片鱗は一切見られません。

寧ろ、人を使えず、また、信用されることも稀、といった感しか受けません。

「馬鹿とはさみは使いよう」と言いますが、故・橋龍氏の意図は(菅=ハサミ)そういうことだったのかもしれません。官僚を怒鳴り付ける位の事は、どう見てもやれそうですから。


第二には、出てきたメモを重要な証拠と錯覚させ、得点を稼ぐパフォーマンスを成功させた、ということです。しかも、今もそのメモ発見を、手柄として利用しているらしいですが。単なるメモでも盛り上がるぞ、日本中の熱い視線が集まるぞ、と議論だけは強い管氏であればこそ、確信していたことでしょう。

そして、実のところ、これは最近見たパターンでもあります。記者会見をしてすぐ辞めると皆に思わせる、いかにもなパフォーマンスを成功させ、改めていつ辞めるかを問われると、「一定の目処」でです、と居座りを決め込みました。人間やることはそう変わらないようです。


マスコミは、菅氏が首相に就任する前に、そういった俗説の真実を視聴率につなげて報道する機会だってあったはずですが、あの稀に見る不徳な人物をスターにするだけして、後は無責任に放置でした。

こんな成功体験があれば、粘っているうちにどうにかなるんじゃないかと、そりゃ思うでしょう。自分だけでなく、周囲(鳩山や谷垣を含む)もいい加減な訳ですから。


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