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役に立たなかったオフサイトセンター

テレビ東京のワールドビジネスサテライトで3月17日に放送された内容です。


財団法人日本分析センター・池内嘉宏理事の話。(おおよそです)

3月11日地震当日、外出先から文部科学省に呼ばれ、その足で福島第一原発に飛ぶよう依頼される。

防衛省の屋上にヘリが来て、福島の自衛隊基地まで行き、自衛隊の車で原発から約5km地点にある、原発の緊急事態に備えた政府の拠点「オフサイトセンター」に翌朝7時前に到着。これは茨城県東海村の臨界事故を受けて設置が定められたもの。

当時、1号機の格納容器内の圧力が高まる危険な状態。既に10km圏内の住民には避難指示が。

入口の所では、中に入る人はすべて検査をする。到着時、既に放射線量はかなり上がっていた。

高ければ入口でシャワールームがあってシャワーを浴びる。でないと入れない。

当時、海水注入作業に従事する自衛官や警察官の拠点に。

放射線の専門家が来ている訳ではないから、なるべく作業時間を決めて計画的に行動して下さいとか、そういうことを池内氏は言った。

自衛官が7,8名、地元の消防や警察、全体で20人位。

着替えも毛布もベッドもなく、椅子で1時間ほど仮眠を取るだけの生活。

危機管理の最前線となるはずのオフサイトセンターだが、携帯電話は一切つながらない。固定電話も行った日の昼までは使えたが午後からは不可能に。衛星電話が1台か2台あったが皆が使っているので、池内氏は使えず、外部と一切連絡はとれず。

オフサイトセンターで全てを一元化して発信して行くはずだったが、ある時からテレビしか情報源のない状態に。

オフサイトセンターは、東海村の教訓としてしっかり現地で対策出来る本部をおこうと、事故が起きても影響が及ばない離れたところに置くのが本来の考え方で、海外では2か所あり、風向きによって使う場所を決めることもある。


この池内氏は放射線の専門家ではなかったが呼ばれて行っているので、現地に少なくともしばらくは放射線の専門家を用意できなかったということになります。

オフサイトセンターには、原子力防災専門官と、原子力保安検査官という人の常駐が義務付けられているのですが、それら人物は、専門家ではない池内氏の代わりにはならなかったのでしょうか?関係ない人間がいきなり非常招集されるのは、そもそも異常です。

また、施設には仮眠施設どころか毛布すらなく、ここを使用する場合には、皆ホテルにでも泊まりに施設を出るつもりだったのでしょうか。

また、オフサイトセンターの要件として、ヘリポートが要求されているのですが、池内氏が自衛隊の基地に降りたと言っていることを見ると、Googleの地図を見るに、一番近い自衛隊の施設は「航空自衛隊大滝根山分とん基地」ですので、恐らくそこでしょう。ここは福島第一原発から直線距離にして30kmは離れており、道を走れば実際は50kmはあるものと思われます。これでは要件を満たしているとは言えません。一体どういうつもりなのでしょうか。

そして一番の問題は、オフサイトセンターが非常時の稼働を始めた段階で、既にそこが安全ではなくなっていたということです。5kmでは有事の際には明らかに近すぎます。


オフサイトセンターにみる原子力防災の問題点

これは、インターネットで検索してみたら、すぐに問題にしているページを見つけました。

原災法施行規則第16条は対象の原子力事業所との距離が20キロメートル未満であることを求めているが、逆にどれだけ離れなければいけないという法の規定はない。立地場所の選定にあたっては、放射性ガスの影響を受けない場所から選定するようにと国から道府県に指導が行われたが、実態は既存施設との関係や土地取得の容易さが優先されたようである。

ご丁寧にも各オフサイトセンターの、原子力施設からの距離まで調べてありますが、10km以上離してあるのは半数以下です。5km未満では、実際の運用は難しいでしょう。原発では小事故だけではなく、このような大事故や、テロの危険だって一応あるはずですが。

最初から大した事故は起きないことを前提にして、制度が出来ているとしか言いようがありません。


また、各オフサイトセンターには代替施設の登録もされているのですが、福島第一の代替施設は「県原町合同庁舎(原町市錦町1丁目30)」となっています。これは南相馬市の合同庁舎で、直線距離にして約24kmと割と妥当な場所だったのですが、南相馬市の一部では津波被害があったからなのか何なのか、ここは使われず、直線距離にして50km程度離れている福井市の県庁本庁舎へ直接移されてしまいました(当然逃げたのではないかという疑念は生じる)。代替施設としての準備は、果たして本当にされていたのでしょうか。


オフサイトセンターは電力会社の施設ではなく、どうも都道府県が具体的に場所を選定し、国(経済産業大臣)が指定する施設です。なので、結局非常時の備えは、国も安全を前提にいい加減にしかやってこなかったのです。…勿論、これは民主党ではなく、自民党時代の話となる訳ですが。恐らく設置時には平沼赳夫氏が直接の責任者だったはずです。


⇒「防災拠点 放射線対策は不十分(2011/6/12)


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